2006年01月29日

京都心学塾「禅」

昨日は今年第一回目の京都心学塾でした。
イワタコーポレーションの社長である岩田さんの講義はいつも気付きがあります。

続きの講義メモは是非目を通してみて下さい。

こころねからことのは(言葉)が出てくる。
常日頃、ことばから発せられる根を意識する。

物の形から、その物を説明できる人は見識のある人。
その物の意味を説明できる人は胆識のある人。

現象にとらわれない心
禅では、「非風非播(ひふうひばん)」かぜにあらず、はたにあらず。(慧能禅師)
はたが揺れているのか、かぜが揺れているのか。
揺れているのは、はたでもかぜでもなく自分の心。

岩田塾長
親が、自分の悩みに合理的に答えてくれなかった。
それが原点にある。
税収と国家予算があっていないのに政治家が務まっていることが不思議。

禅は、いいか悪いかを教えているものではない。
理不尽さが溢れるこの世の中を生きていく術を教えているのが禅である。
矛盾さが当たり前。

「八風吹けども動ぜず」
八風 − 利(もうける)・衰・毀・誉・称・き・苦・楽
八風は意識(反語 深層意識)の世界のもの
深層心理では、動かない。「空」の状態。
空とは、どの様な状態か
車のエンジンがかかってニュートラルの状態。
(音楽はかかっている、ライトもつく、エアコンもついている、エンジン音もしている、アクセルを踏むとエンジンが回る、けれども一ミリも進まない。)

孔子的 平均的にそこそこの点を取れる
老子的 落第者も作るが、飛びぬけた天才を作る。
集団では孔子的、個人には老子的が適している。




fukumarutakayuki at 22:35 Comments(0) TrackBack(0)  

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